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若鷹 (急設網艦)[わかたか]
若鷹(わかたか)は、日本海軍の敷設艦(急設網艦)。初鷹型敷設艦の3番艦。大戦中は主に輸送船団の護衛に従事した。太平洋戦争を生き延びて戦後は復員輸送に従事し、そののち賠償艦として引き渡された。終戦時に帝国軍艦籍にあった艦中、解体あるいは海没処分されずに賠償艦となった唯一の艦である。 ==概要== マル4計画艦の仮称艦名第102号艦。初鷹型3番艦〔〔だが、基本計画番号は初鷹と蒼鷹のH12〔世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 145。〕に対して若鷹はH12b〔と異なる。船体寸法は同一であるが船首楼甲板を延長するなど船体に若干の違いがある。また兵装に関しても初鷹、蒼鷹では40mm機銃を装備していたが、若鷹はこれを8cm高角砲とした。防潜網6カイリ分、または九三式機雷100個を搭載可能。 緒戦はジャワ攻略作戦参加等。その後はバタビヤ方面で船団護衛、ラバウル、西部ニューギニア方面で船団護衛など。昭和20年に入るとスラバヤ-アンボン往復など活躍した。10月7日(10月17日とする出典もある〔Brown, David (1990). Warship Losses of World War Two. Naval Institute Press. ISBN 1-55750-914-X.〕、損傷した厳島 (敷設艦)を曳航中に、オランダの潜水艦Zwaardvischの雷撃を受けた。Zwaardvischは5本の魚雷を発射し、1本が命中した厳島は沈没し、若鷹にも船首に魚雷1本が命中したが不発であった。若鷹のスラバヤでの修理は1945年3月初旬までかかった。 1945年3月27日 ジャワ島北東でイギリス海軍潜水艦ステイジアンの雷撃を受け、艦橋から先の船首を失い、乗員20人が死亡した。スラバヤで仮の船首を取り付ける応急修理が実施されたが、資材の不足のために修理は終戦までに完了しなかった。戦後は鹿児島で本格的な修理が実施された。 1946年3月より、マニラ、サイゴン、高尾、シンガポール、沖縄、パレンバン、バンコク、香港などとの復員輸送業務に従事する。1947年1月にメンテナンスを実施した。1947年10月17日に、シンガポールでイギリスに引き渡された。後にマラヤ連邦所属となり、ラブアン(HMMS ''Laburnum'')と命名〔され宿泊艦として使用される。1965年シンガポール所属となり同国義勇海軍の練習艦として使用。1967年5月5日シンガプーラ(RSS ''Singapura'')と改名し同国義勇海軍の旗艦となる。1968年除籍解体。
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